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黒杜酒に欠かせない人物が、杜康。
伝説によれば、周の時代の人物で、初めて酒を作ったといわれるゆえ、「杜康酒」と言われていたのが始まり。
後の三国時代に入り、鉄拐仙人ら八仙との紛糾をのがれた杜康は、河南から江南の地に辿り着く。
しかし、その地まで八仙らが追ってきたため、慌てた杜康が焼け焦げの米飯で作った酒が、この黒杜酒。
口当り良く、香りを放つ銘酒は、八仙をはじめ四方の神仙や山の妖怪までが喜んで呑んだとのこと。
杜康が追われてきた江南の地は、三国時代の呉の地に当たる。
呉は、江南の魚と酒の産地であり、農作物は水稲をもって主として上質の大米を産す。
大米は栄養価地が高く、ことにもち米が優秀。江南の水質も醇であり酒造に適している。
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それから南北朝や唐、宋、明の時代を経て、清の時代。
「乾皇帝」と黒杜酒の出会いがあった。
乾隆帝が皇太后と江南に下った際、途中で沙洲を通過したときのこと。
皇帝がなんともいえぬ良い香りをかいだ。
どこからともなく来るその香りに、乾隆帝は辿るように追っていく。
すると、ある杜氏の醸造所を発見する。
そこまで辿り着いた皇帝が「これは何の酒か?」と聞くと、
その醸造所の杜氏が応えた。
「黒杜酒です」
「香漂十里外、味回三月余」
−その香りは10キロ先へも漂い、その余韻は3ヶ月口に留まる−
乾隆帝は、呑みながらこう言ったという。
乾隆帝自身、数多くの漢詩を残してるが、これはその中の一つでもある。
これ以降、黒杜酒は毎年朝廷へ捧げられるようになったという。 |
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